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2015年10月10日 (土)

「1億」という言葉について(毎日新聞より引用)

1010日は体育の日ですが、友人から、体育という言葉は軍隊用語であるということをある芸能人がテレビで言っていたということを聞きました。
体育ではなくスポーツに移行するべきだと。

今日は、スポーツの日と言われたならば、スポーツをすることを意識するかもしれないけれど、
今日は、体育の日と言われても、確かにピンとこない。

(
そのような日にちやら祝日の理由をつけるのも国家の都合であるということも意識するけれども。)

時代がさらに混迷している中で、このような細かいけれど、
人が生きる根底に存在している「言葉」、
その言葉を用いた権力側の巧妙なプロパガンダには意識して

注視していかなければならないと思います。

権力側のプロパガンダの言葉が、私たち市民の生活に入らないように。

以下、毎日新聞より引用。↓

昭和史のかたち:安倍首相の1億総活躍社会=保阪正康

 ◇過去の歪み 凝縮の表現

 安倍晋三首相の言語感覚はなかなかユニークである。

 9月30日に訪問先のジャマイカで随行記者団に、党内人事や新しい政策について説明したなかで、「1億総活躍社会」の実現を目ざすことを改めて語った。言わんとするところは、人口減で先細りする労働力を案じて、このままでは日本の未来は開かれない、そこで新たな経済政策や雇用の安定を図って、「1億総活躍社会」を実現させるということのようだ。

 この「1億」とは人口の概数を指して、いわば「国民全員が活躍できる社会」というのが本意なのだろう。活躍の意味も曖昧なら、それがどのような到達地点なのかといった具体的なイメージもない。例によって麗句を口にし、なにやら幻想をまき散らすというのが、この「1億総活躍社会」の意味ではないか。

 むしろあの日中戦争・太平洋戦争時に盛んに用いられた「進め一億 火の玉だ」とか「一億一心」などとイメージが重なり危なかしくて仕方がないというのが正直な感想である。つまり「一億」という語は、「聖戦完遂」とか「ファシズム体制」そのものを指しているというのが歴史的な用いられ方であった。

 たとえば「一億一心」というのは、国民が心をひとつにして聖戦完遂をとなる。国民精神総動員委員会の決定にもとづいて、1939(昭和14)年9月1日から、阿部信行内閣の下で毎月1日は「興亜奉公日」になった。これが官報でも告諭された。この奉公日は、次のように規定されている。

 「全国民ガ特ニ戦場ノ苦労ヲ想ヒ、自粛自省、的確ニ之ヲ実際生活ノ上ニ具現シ、一億一心、興亜ノ大業ヲ翼賛シ、以テ国力ノ増強ヲ図リ、強力日本ノ建設ニ邁進(まいしん)スルノ日」。「一億一心」を訴えるこの日は、ドイツがポーランドに進駐して第二次世界大戦が始まった日でもある。加えて日中戦争が泥沼化していて、日本は身から出たさびとはいえ、そこから抜けだせずに苦悩を続けていた。

 国民精神をひとつにして、戦争政策に全面的に協力せよというのが、興亜奉公日(それを一億一心社会といっていい)の狙いである。阿部内閣のこの奉公日の規定は、現在にも通じていて安保関連法が現実に施行になったら、そのまま通用するのではないかといいたくもなる。

 「1億」は太平洋戦争下ではもっとおどろおどろしい意味をもった。開戦翌年の42年には、大政翼賛会のスローガンとして前出の「進め一億 火の玉だ」という激しい言葉が採用され、主要な建物には、垂れ幕が掲げられた。作詞、作曲もされ、国民の士気を鼓舞する戦争歌としてことあるごとに歌われた。その冒頭は、「行くぞ行こうぞ がんとやるぞ 大和魂だてじゃない……」といった具合なのだが、戦況が悪化していくにつれ、これらの歌はヒステリックな歌い方で国民の士気を鼓舞したのである。

 安倍首相の用いている「1億総活躍社会」は、もとよりこの時代のファナティックな意味をこめているわけではないだろう。しかし過去のこの国の歪(ゆが)みが凝縮している「1億」などといった表現は慎むのが歴史的礼節であるならば、いささか無神経すぎるといった言い方をしてもいい。

 なにしろこの語は、状況が悪化していくと、「一億総玉砕」とか「一億総特攻」といった語にもつながっていく。いうまでもなくこのふたつの戦術を、第二次世界大戦下で国家の軍事システムとして採用した国はない。日本だけである。ふつう全滅というのはある部隊の3分の1を超える兵士の戦死の状態を指す。ところが日本は最後の1人までが死ぬことを全滅といい、全滅では大本営参謀たちの責任となるとばかりに「玉砕」という語に言い換えた。43年5月のアッツ島の玉砕からである。戦争末期には「一億総玉砕」の名のもとに国民全員に死が強要されつつあった。

 「一億総特攻」もまたそうであった。十死零生の作戦が、まずは学徒兵や少年飛行兵に、国家の非常時という名のもとに命じられている。

 「1億」という語には、恐るべき意味が数多くこめられている。戦後の歴代首相の演説や議会答弁で、この表現で自らの政策を語った例はほとんどないのではないか。国民の反発を買うと知っていたのであろう。戦後社会では、一評論家がテレビ時代を皮肉り、1億視聴者が思考をもたなくなるのではと案じた件が思いだされてくるだけだ。

 10月7日に発表された第3次安倍改造内閣では1億総活躍担当相が生まれた。さて「1億総活躍社会」とは、私たちに何にむけて、どのような活躍を要求するのだろうか。不気味な表現に慣れるわけにはいかないと覚悟すべきだろう。

(昭和史のかたち:安倍首相の1億総活躍社会=保阪正康 毎日新聞 20151010日より引用)

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